気まぐれ日記はまだつづく


by kiyomixH
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

悩む悩む

 これでいいのか、これからどうしようかと本格的に悩み始めたときから、最も相談したかった人のひとり(英文和訳チックな表現)、お花遊び教室の先生に相談に行ってきました。
おとといかな。
私の話を、うんうんと聞いてくれて、一番心に残った言葉は、

   「私も、全てはリアルでなければいけないと思ってるから。」

まさにそれです。
斜向かいのベローチェに入って、思わず涙してしまいましたYO!
 
 ドクターに進んでから特に、論文どころかレポートレベルの文章ですら全く書けなくなってしまって、その理由は、その問題の中に自分が入り込んでいる気がしなかったから。
それは前々からそうだったし、自分がさほど興味がない分野のことでも長く文章が書ける人のことを羨んでいたりもしました。
でも、ここに来て、自分では興味があると思っていた自分の研究についても書けなくなってしまって、私は頭が悪いのではないかと本気で悩み、色々な人に相談しました。
「いや、そんなことないよ。」
って言ってもらいたかったのか、文章を書く術を教えて欲しかったのか、向いてないから他の道を探した方が良いと背中を押して欲しかったのか、それはわかりません。
でも、その状態が長く続いて改めてわかったことがあります。
研究というものをおおまかに2つの種類にわけるとします。
1つは、本や資料などを見て、自分の考えをまとめていく研究スタイル。
もう1つは、実践と連動していく(想定する)スタイル。
私は完全に後者でした。
なのに、まともに現場に出たこともないから、どんなことが問題で、その問題を解決するために何をやったら良いのか、私の感覚としてわからない、というか、知らない

 例えば、フィギュアスケートでトリプルアクセルを決めるのに、この速度でこの角度でこのタイミングで飛ぶと成功するという研究をするとして、私はやっぱり自分でやってみたいと思う。
理論としてはそれで良いとして、いざやってみて、意外と踏み込むのに力がいるなぁ、とか、このときには首をあっちに向けていないと目が回るんだなぁ、とか、次の技に移るのに、こっちに腕を持ってきた方がいいなぁ、とか、そういうのがわかった方が良いと思うし、それがそのまま文章に表れなくても、楽しい。
どんなに素晴らしい論理を展開していても、
「そんなの現場でやってる時間ないよ。」
って言われたり、誰でも経験はあると思うけど、この問題集を一日一ページやったら、一ヶ月で終わって、終わる頃にはすごくわかるようになってるんだろうなぁ、と思っても、3日坊主だったとか。
そりゃ、やったらすごいだろうね、きっとできるだろうね、ってことでも、実践できなければどうなの、と思ってしまう。
無意味とは言わない。
あくまで、私はしない、ということ。

 それで、私は、今のままでは研究が楽しくないし、このまま時間と学費を持て余していくのは良くないと思ったので、教授に言いました。
正直に相談すれば楽になるよ(by eyesよっちゃん)と励まされ、勢いづいて本当に正直に話してきました。
心理学をもっと勉強したいと思ったけど、大学教授になりたかったわけではないということ。
自分が入り込めないと私は論文を書けないし、研究スタイルは変えられないということ。
今のままでは楽しくないということ。
それと、今月末提出の論文も、何かを出せと言われたら出せるけれども、また昨年までのようにしょうもない論文(らしきもの)を提出して、とりあえずコマだけ進めておいても、何もメリットを感じられないから提出したくないということ。
先々のことを考えるなら尚更、とりあえず表面だけなぞってこなしていくよりも、データを取るとか、次の学会発表に向けて構想を練るとか、そういう時間に充てたいと。
3時間話を聞いてくれて、私にとって一番良い方法を一緒に考えてくれました。
それがおととい出した結論です。
a0056498_1263573.jpg

性格を持たないとき、人はたしかに方法を身につけなければならない。
                            アルベール・カミュ「手帖」

                
[PR]
by kiyomixH | 2006-01-21 12:08 | 日記